ブルース・リーが映画「燃えよドラゴン」で放った有名な言葉
Don’t think.Feel.(考えるな、感じろ)
この言葉について、ロシア武術システマでの体験と照らし合わせて以前記事にしました。
改めてブルース・リーの哲学やタオイズムを学んだり、自分の現実の外側にいる人達(イスラム教徒など)と触れ合うなど身体感覚を伴ったインプットを続ける中、新しい視点がいくつか得られました。
ここでは感じる事と考える事のつながりについて、これと似た対比をいくつか通して”考えて”みます。
感じることと考えること。経験することと理論化すること。陰と陽
「経験する」という言葉があります。
これは五感や感情など、身体感覚の伴ったものを指しており、主観的なもの。
「経験人数」はまさにこれを表した言葉。
その逆サイドにあたる言葉として、「理論化する」がある。
理論化は、経験から一歩離れそれを客観的分析対象として捉え、言語化して理論を構築する。
「経験」を重視するものには禅やヨガ、タオイズムなどの東洋哲学が
「理論化」を重視するものとして古代ギリシャから続く西洋哲学が対応します。
個人的主観的な経験という意味でも科学的な実験という意味でも、「経験」なくして理論化は不可能。
理論化および言語化なくして、経験の意味づけは不可能。
タオイズム的には、経験は陰のエネルギー、理論化は陽のエネルギー。
陰のエネルギーとは、蓄積されるしなやかなエネルギー。
陽のエネルギーとは、堅固な、はっきりしたエネルギー。
この世の全ては陰と陽の相反する性質をもち、両者のバランスによって世界が保たれているとするのがタオイズム。
老子の言葉でいうと
粘土をこねて土をつくるが、必要とするのは中身の空洞である。
我々は存在を作業するが、非存在が我々の使うものである。
壺・存在は陽のエネルギー、空洞・非存在は陰のエネルギー。
片方だけでは成立しません。
システム1とシステム2
感じる事と考える事に似た次の対比として、行動経済学者ダニエル・カーネマンが一般向け書籍ファスト&スローで広めたシステム1とシステム2という区分があります。
この理論によると、人間の思考モードは2つ存在し
システム1は速い思考。
無意識的・自動的で処理が速く、扱える情報は大容量。
ただし物理的・認知的環境の影響を受けるなどのバイアスがある。
考える努力はほぼ不要。
※ここでいう「情報」とは、五感や感情で得られるものも含む
システム2は遅い思考。
意識的で処理が遅く、扱える情報は小容量だが、注意力を用いて論理的・統計的思考・高度な推論をしたり、仮説を立てるなどの複雑な情報処理を可能とする。
それぞれメリットデメリットがあり、例えばシステム1は短絡的判断・行動をしてしまう恐れがある代わりに、システム2が小容量の情報を使って立てた仮説や推論の欠陥に気付ける。
何故かというと、システム2では扱えない五感や感情で得る大容量の情報を扱えるため。
例えば就職先・転職先を探している中、システム2で色んな企業を比較した末
「待遇もいいし、この会社で働いたら日々充実しそうだな」
と仮説を立てたとします。
しかしいざ入社してみると、実際に五感で感じる職場の雰囲気などが合わず
「確かに条件通りだけど思ってたのと違う…」
となったり
システム2で特定の資格・スキルを身につけたら人生変わると推論し、一生懸命勉強したものの、取得後も現実は何も変わらない。
「もしかしたらそういう問題ではないのかな?」
というモヤモヤを抱いたり
システム1はこれらの違和感もすくい上げてくれます。
ただしシステム1は暴走すると、車で人をはねてしまった時ちょっと考えれば警察や救急車を呼んだほうが良いとわかるのに、怖くなって逃げるなどの短絡的行動をとってしまう。
システム2は高度な推論や新しい仮説を立てる事を可能とし、主観の外側に出ることも可能としますが、扱える情報が小容量ゆえ背景にある文脈情報などを無視しがち。
例えば世界初の民間人を標的にした化学兵器テロを起こしたオウム真理教の幹部達は、軒並み日本でトップクラスの高学歴でした。
彼らがなぜあのような行為に走ったかというと、入信前持っていたロジックで埋められなかった穴を、オウム真理教のロジックが埋めてくれたから。(システム2の働き)
システム1もシステム2も、どちらかに偏ると認識と判断の質に問題を起こします。
五感で感じることと物語を知ること
前回の記事で書いた通り私は今、当面のインプットの質をこれまでの人生とは変える実験をしています。
インプットとは読む本だけではなく、五感や感情など身体感覚を通して仕入れる記憶も含めます。
その一環として読んだ、これまでの人生では素通りしていた本、大山皓生(こうき)さん著「与える人になりなさい」。
与える人になりなさい じいちゃんと僕たちの、フルーツサンド行進曲
こうきさんが社長を継いだ愛知県岡崎市の”地元のスーパー”から、世代と地域を越えダイナミックに人の想いと縁がつながっていく。
その内容に感銘を受け、舞台であり出発点でもあるフルーツサンドで有名な岡崎のダイワスーパーさんにうかがいました。
味覚を含めた五感、感情など身体感覚を通した記憶の仕入をしに行くために。
正直な感想をいうと、外観は本当に普通のスーパーでした。(ダイワスーパーさんごめんなさい!)
しかしそこで働く方達は、いい意味でまったく普通ではありませんでした。
フルーツサンドを買い屋外の飲食コーナーで食べていたところ
「お兄さん今日は寒いでしょ」
と暖かい飲み物をくださったり、飲み物だけでなく温かい声をかけて頂いたり皆さんに色々と良くして頂きました。
想いと縁が、世代や地域を越えるその基盤を見た気がします。
フルーツサンドはフルーツ・生クリーム・パンの絶妙な三重奏で、めちゃくちゃ美味しい!
フルーツサンドが生まれるまでの物語を知っているとよりその味わいが深くなる、フルーツサンドの味を知ると物語の味わいもより深くなる。
何事も物語を知るだけや、その逆に五感で感じるだけだとちょっと勿体ないのかも知れない。
五感や感情で感じる事、知ったり考えたりする事、一方に偏ると見落とし・死角が増える。
死角が増えるとそこからの妨害に訳も分からず苦しんだり、反対に死角からの応援に気付けなかったりする。
システム1とシステム2、それぞれで補完し合う事で両方を強化していく。
陰と陽のエネルギーをバランス良く使いながら、両方とも大きくしていく。
2500年前の巨人の肩に乗り、システム2を使って考察してみました!
感想や掘り下げて欲しいところ等あればお気軽にコメントやお問い合わせください、それでは今日はこれにて。
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