はじめまして、山哲(やまてつ) といいます。
私は今、生活や人生単位で仮説検証ループ(OODAループ)を回して、QOLおよび人生のゲーム性を上げるコミュニティの立ち上げに動いています。
QOLは聞いた事あるけど、ゲーム性を上げるって何?
と思われたかも知れません。
詳しくは後述しますが、とある本に
QOL(Quality of Life)の観点からみて、日常生活でフロー状態になる機会の最も多い人が一番幸福
といった言葉があります。
フロー状態とは、時間の経過を忘れるほど集中して、対象に精神的に入りこんでいる・没頭している状態。
この状態になる条件がいくつかあるのですが(後述)、中毒性の高いゲームはそれらの条件を多く備えています。
スポーツのようなアナログのものにせよ、オンラインゲームのようなデジタルなものにせよ、です。
人生・生活単位でもそれらを整えることで、Life全体のゲーム性を上げていこうという意味合いを込めて、コミュニティ名はLife Labs(ライフラボ)です。
Labは英語で研究室や実験室、Labsは研究所を意味します。
コミュニティに参加する方各々が、科学者が実験を行うようにLifeを観察、仮説を立てて検証してフィードバックを得るサイクルを回す。
それをひとつの研究室・実験室と見立て、その集合であるコミュニティは研究所=Labsとしました。
なぜ仮説検証ループを回すのがゲーム性を上げることに繋がるかも、後述するフロー状態になる条件と関連してきます。
この記事では、
- どういう経緯でLife Labsを始めようと思ったのか
- Life Labsとはどういったコミュニティか(仮)
について語っていきます。
随所にQOL、人生のゲーム性を上げるヒントを散りばめましたので通読がオススメですが、長いので気になるところだけ読んで頂いて構いません。
どういったコミュニティかのざっくりした説明は最後の章、フロー状態についての説明はその前の章でしていますので、お忙しい方はそちらをご覧ください。
さしたる目的もなく、ムダに鍛えていた高校時代
1989年、愛知県の某所にて誕生。
小中学校時代の私は、野球部に所属する引っこみ思案な少年として過ごしました。
どこの小中学校にも各運動部にひとりはいた、あの子たちみたいな感じです。
高校は野球部がない学校だったので、帰宅部に所属。
帰宅部だったにもかかわらず、私は強さに憧れる思春期の男子よろしくブルース・リーに憧れていました。
格闘技もスポーツもやらないくせに身体は鍛えていて握力は70kgを越えているという変な少年です。
しかし目的もなく何かを続けるのは、惰性でやる仕事のように身が入らないものでした。
そんななか高校3年生の時、ネットサーフィン中たまたま米国のストリートバスケの動画に遭遇。
あまりのカッコ良さに衝撃を受け、 モテたかった鍛えた身体を使う場がなかったのもあってバスケを始めました。
トラックに左足を潰され、未熟な振る舞いにより友人関係ほぼ断絶
20歳になった私は、垂直跳び85cm、友人からは「グラップラー刃牙」と呼ばれるような身体をしていました。
当時はバスケットボールのプレイを通して仲良くなったアメリカ人の友人づてに渡米することを考えておりましたが、そんな矢先。
左脚のアキレス腱を傷め、早く治したいがために焦ってダマシダマシ身体を動かしてしまい怪我が慢性化。
からの、バイト中運転手さんの不注意で4トントラックに左足を「潰される」という事故にあってしまい、渡米どころではなくなりました。
幸い事故による障害は残っておらず運動自体は出来ますが、後遺症として今でも左足の動きは悪いです。
脚を動かせなくなった事により、周囲60cmほどあった太ももがどんどん細くなっていく様を泣きながらただ眺めるだけ。
「これ(身体)しか取り柄ないのに…」
人間的に非常に未熟だった私は、「弱っているところを見られたくない」「同情されたくない」という想いから、人に会う事を避けるようになりました。
のちに不思議な巡り合わせで復活したものを除けば、前述のアメリカ人の友達も含めほとんどの友人関係がここで断絶してしまいます。
20代の方向性を決定づけたニート時代
身体を動かせない事でニート状態となり人とも会わなくなった20歳の私。
未熟だった当時の私が事故の現実を受け容れるには、年単位の長い時間が必要でした。
バスケと米国への未練を残しつつ、現実逃避として色んな本を読み漁ります。
傷心の20歳がいかにも手をつけそうな本を片っ端からいきました。
自己啓発、心理学、哲学、ビジネス書…
様々なジャンルの本を読む中で、自分には歴史の知識・感覚が欠如している事に気付きます。
あなたは学生時代に歴史は好きでしたか?
私は嫌いでした。
自分の人生において何の為になるかわからない事を、大量に覚えさせられる苦痛な科目だと思い込んでいたからです。
しかし色んな本を読んでいく中で、視野が広く含蓄のある人は例外なく歴史に明るい事に気が付きます。
※ただし歴史を知るだけでは不十分である事も、のちに気付きます(後述)
近現代史がわからなければ現在起こってる事がわからない、中世史がわからなければ近現代史がわからない、古代史がわからなければ中世史がわからない。
時間がたっぷりあったので、この機会に世界史日本史ともにイチから学び直そうという考えに至りました。
ここから長い時間をかけて歴史を学ぶ道が始まります。
学習に時間がかかる分、長い時間をかけた心のヒーリングにはちょうど良かったのかも知れません。
ビジネス系の本も読みましたが、上記の事故により「お金があっても一番やりたい事(身体を動かす)が出来ないので意味がない」という想いが強く、内容はほとんど入って来ず。
- 一番やりたい事が出来なくなる
- ビジネスやお金に対して興味が薄い
- 心理学・哲学・歴史に興味関心のベクトルが向く
この3つの要素が私の20代の方向性を決定づけました。
失うものと得るものは表裏一体
事故でやりたい事が出来なくなった影響で、「自分がやりたいかどうか」「自分が興味を持てるかどうか」が私にとって最優先の判断基準になりました。
そのうえ子どもの頃から人(他者)への関心が薄かった私は、
- 同世代の関心対象、流行には我関せず
- 上の世代のありがたい助言も右から左
- 人が喜ぶかどうかには関心がなく、自分が楽しいかどうかが大事
という態度をとるようになっていました。
この自分ファーストの態度を数年間とる事で 私の人格にもたらされた一面として考えられるのは、
- 人への関心が薄い事により、様々な人間関係の中で経験する、喜怒哀楽を通した意識の発達機会を得にくい
- そのため他者貢献・社会貢献の意識も育ちづらい
- よってアドラー心理学でいうところの、「共同体感覚」からくる幸福も得られない
もう一面として、
- 日本社会の空気において よしとされる価値観の影響をあまり受けていない
- それに加えて世界史や哲学等を学んでいるので、見逃されている前提に気付いたりなど、一歩引いた視点を持ちやすい
などがあります。
人に慣れるために販売員や人に教える仕事も経験しましたが、お客さんや生徒さんひとりひとりにズームインした興味関心のベクトルは強くなかった。
しかし、ズームアウトした外の世界や、人間そのものの心理への興味関心のベクトルは強くなっていきました。
外面的な旅・4ヶ月の海外周遊で変わったもの
20歳の時のトラック事故以降、世界史関連の本をあれこれ読んでいく中で、私はモンゴル帝国に興味を持つようになりました。
モンゴルといえば何を思い浮かべるでしょう?
相撲、草原、遊牧生活といった素朴なイメージでしょうか。
現在のモンゴルは、中国とロシアの二大国に挟まれた新興国ですが、かの地から始まったモンゴル帝国は世界史に絶大な影響を与えています。
モンゴルの草原から出発した遊牧民が、最大版図でいうと東は朝鮮半島から西はポーランドまで、鉄道もない時代にあれだけのネットワークを広げ文化的にも多大な影響を残した。
帝国のかつての領土は、現在何十もの主権国家が統治し、モンゴル国自体も大国ではなくなっている。
そのダイナミックな動きに興味をひかれました。
実際にかつての領土である現地を自分の目で見て、人も含めそこでの文化を感じてみたい。
最初はぼんやりと「行きたいなー」程度の想いでしたが、その想いが日増しに強くなり、30歳で海外周遊の時間をとるために仕事を辞めます。
無事に帰って来れるかどうかを含め不安や恐怖もありましたが、それ以上に行きたい想いを抑え切れない状態になっていました。
周遊を本気で考える頃には、自分でも何故だかわかりませんが「今行かなければ人生詰む」くらいのレベルまで欲求が肥大していました。
論理的根拠は何もありません。笑
海外での安全に関しては、もちろん対策をやった上でですが、「何らかのトラブルで帰国する事になったり、最悪身ぐるみ剥がされても死ななければ良い」とまで考えていました。
中国→モンゴル→ロシア→ポーランド→チェコ→スロバキア→ハンガリー→オーストリア→イタリア→ギリシャ→トルコ→マカオ→ベトナム→香港とまわる中で
実際に海外でも「身ぐるみ剥がされても死ななければ良い」と考えて何度か行動した事で、修羅場を含め日本ではなかなか出来ない経験をする事が出来ました。
日本で普通の生活をしている時には決して感じられない、サバイバル系の細胞が活性化する感覚が気持ち良かったです。
旅の内容についてはそれだけで何記事か書けてしまうのでここでは述べず、旅によって自分の中で変わったもの・得たものをいくつか挙げます。
- 見知らぬ人、それが外国人だとしても親身になって助けてくれる人々の存在を知った
- 初対面でもガッツリ仲良くなれる臨場感
- 修羅場をくぐれる自信
- 長い時間をかけてその土地で育まれた様々な文化を体感したり、意識的にせよ無意識にせよその文化を守り紡いでいる、現地の人々とふれ合った事による空間的・時間的視野の拡大
- 本や映像越しでしか知らなかった知識が、五感を伴った経験とつながった
他にも挙げればたくさんありますし、初対面の人への私の態度を見た友人が「変わったね」と言ってくれる事もありました。
実際に海外を旅して大きく変わる方もたくさんいると思いますし、私自身も感情の動く多くの貴重な体験をしました。
そのすべてが宝物です。
しかし振り返ってみて正直にいうと、私の場合根本的なところでの大きな変化はなかったです。
「海外に行きさえすれば何かが変わる」
この考えは、
「痩せさえすればモテる」
「お金を稼いで良い車に乗ればあの子に振り向いてもらえる」
などと同じく、自分の外側に一発逆転をさせてくれる何かを求めている姿勢からくるものです。
「宝くじが当たれば、経済的な悩みなくなって人生バラ色」
「このスクールに入れば(このスキルさえ得れば)、自分のビジネスは安泰」
も同様です。
一説には宝くじ高額当選者の70%が数年以内に破産するといわれていますし、高額スクールに入ったからといって全員が成功する訳ではありません。
私の場合、海外を周遊して確かにある程度は変わりましたが、後の根本的な変化に比べるとこれは単なる布石のひとつに過ぎませんでした。
最も見たくないものを直視して気付いた、違いをもたらしている4つの違い
海外周遊から帰ってきたのが2019年の9月。
その翌年から世界はパンデミックに入りました。
海外はおろか国内での旅行も憚られ、リモート社会へと移行する社会情勢のなか。
人に会わずに外国語を学んだり本を読むぼっちライフにも飽きてきたので、2021年副業を探す事に。
時間と場所に縛られない事と、20代の時少し触った事があったためFXを選び、1年間そこそこエネルギーとお金を使いました。
結果を出している人とも何人か会い、あることに気付きました。
生まれてから今まで会った人達の中で、投資家に限らずマーケターにせよ何にせよ、経済的に豊かな人の中にも惹かれる人とそうでない人がいる。
そしてその惹かれる人達は、何かが決定的に自分とは違う。
それは能力や頭の良さではなく、そのはるか手前のもっと根本的な何か。
根っこのところに大きな違いがある事には気付きましたが、それが何かはこの時はまだわかりませんでした。
1年間FXに取り組んで成果が出なかった私は、「結果を出し続けている人と自分との間にも、知識や経験や能力以前の根本的な違いがあるのではないか?」と考えるようになっていました。
しかしそれが何なのかは依然としてわからず、本を読んでも気晴らしに遊んでも閉塞感を拭えない日々。
そんな中、ベトナムで知り合った若手マーケターから2019年に教えてもらったある人物の事を思い出します。
その人物の名はタナカミノル。
彼自身はFXを一切やらないにも拘わらず、脳科学やコーチングのスキルを駆使しFXトレーダーを指導する人物。
彼の事を教えてもらった時、コンテンツも一部もらったので視聴もしていました。
2019年当時は、そのコンテンツの内容が自分が勉強してきた心理学や世界史の話が入っていたので、「知ってる話が多いな」とそこまで興味を惹かれませんでした。
しかし当時とは違い、今は結果を出し続けている人と自分との間の根本的な違いに関心が向いている。
「チャートの外での習慣が、チャートを見る時に持ち込まれる」と断言する、脳科学などにも明るく数千人ものトレーダーを見てきた彼のコンテンツに触れれば、その違いに気付けるのではないか?
そう考えました。
結果は大当たり。
彼のコンテンツが素晴らしかったのは勿論ですが、それ以上にその情報が入る器・行動に移す器が、これまでの経験を通して自分に出来ていた事が大きかった。
2019年に聴いた同じ内容も、まったく違うものに聞こえました。
情報や知識はそれ自体では意味をなさない。
人の記憶、経験、未来とつながった時に初めて意味を持つ。
強い臨場感をもってそれを体感し、自分の最も見たくない部分を直視し掘り下げたのが、2022年末から2023年の春にかけての事でした。
経済的に豊かかつなぜか惹かれる人や、FXで何年も結果を出し続けている人達と自分との根本的な違い。
かつてわからなかったこの違いも、自分の最も見たくない部分を直視し掘り下げた事で明確になりました。
最も見たくない部分とは、自分が本当は何を欲しがっているのか、何が怖いのか、どんな時に逃げたくなるのか、などです。
彼らとの根本的な違いとは、
- ものごとの優先順位
- 現実を静止画ではなく、ダイナミックに変わり続けるものとして認識している
- 絶えず仮説検証ループを回している
- 他者貢献意識
これらの要素が時間を経て積み重なった結果、能力・頭の良さ・成果・人格の違いとなって表れる。
この4つはバラバラのものではなく、全てつながっています。
例えば、1の「ものごとの優先順位」と4の「他者貢献意識」をつなげると、
「自分が良い人だと思われたり、すごいと思われるよりも、他の人や社会の喜びが増える事を優先する」
これに2と3をつなげると、
「友人が喜ぶ事を考える時、前回会った時と次会うまでの間にお互い色んな経験をしたり気分の波があったりと、相手も自分も変わり続けている。
その変化に注意して、前に相手が喜んだ事をただする(過去の記憶の自動再生)のではなく、今目の前にいる相手が喜ぶ事に思いをはせる」
(静止画ではなくダイナミックに変わるものとして現実を認識。
自分の行為に対して相手が実際に喜ぶかどうかは、やってみて反応を見るまでわからない。←仮説検証)
といった具合です。
内面的な旅・同じ人に会っても、同じ情報に触れても、毎回違って感じる現実の始まり
正直上記の4つとも全て、前に聞いたことのある話でした。
しかし物理的には聞いていても、その時心には入っていかなかった。
もしかしたら今これを読んでいるあなたも、「ああ知ってる」と思ったかも知れません。
同じ情報でも人によって入り方が全く違うのはもちろん、同じ人でもタイミングによってその情報の入り方が全く違う。
先にも述べたように、情報や知識はそれ自体では意味をなさない。
人の記憶、経験、未来とつながった時に初めて意味を持つ。
いくら知識、情報、経験を仕入れても、つながりを作らなければ何も生まれない。
しかしつながりを上手く作れば、ススもダイヤモンドになる。
つながりを見出だせないから「今手に持っているススは汚い、シルバーやゴールドが良い」と、知識や情報、ノウハウなど ひたすら外に答えを求める。
私の場合、
高校で野球部に入っていたらバスケを始めなかったかも知れない。
バスケを始めなかったらトラック事故もあんなに辛くなかったかも知れない。
事故があんなに辛くなかったら、本をあれだけ読まなかったかも知れない。
あれだけ本を読まなかったら、海外を周遊しなかったかも知れない。
海外を周遊しなかったら、違いや つながりに気付くために必要な観察力が養われなかったかも知れない。
同じ出来事でも、つながりの作り方によって無数の解釈があります。
脳が目の前の現実から拾う情報も、今持っている解釈に沿って決められます。
拙いながらも自分なりに仮説検証ループを回し始めた事で、目の前にあったにも拘わらず全く気付かなかった現実が、少しずつ「出現」してきました。
同じ人に会って同じ場所を訪れても、全く違うように見える・感じる、内面的な旅の始まりです。
優先順位を変えて、悪習慣をデトックス。ただし…
違いをもたらしている違いの1つとして、ものごとの優先順位を挙げました。
優先順位が違うということは、思考パターンも行動パターンも違います。
自分の優先順位を考えた時、無意識に無駄な事を優先している習慣があると気付きました。
無駄な事とは、わかりやすいところで言うと、惰性で視聴するYoutubeやSNS回遊、有名人がらみのニュース閲覧など。
無駄な事を優先するということは、脳と心のリソースもそれに優先して割いているということです。
これは、今後人生で何をするにしても完全にマイナスリターンの習慣です。
マイナスリターンの習慣は、時間が経てば経つほどマイナスが拡大するので、気付いたらストップします。
物理的な無駄を省くために、まず要らない物を捨て部屋を片付け、本も大量に処分。
LINEの友だちも、もう自分から連絡を取らないであろう人は全員削除し、友だち数は半分近くになりました。
スマホを見る頻度も減らし、便通を良くする健康製品を飲み始めるなどして身体のデトックスを促進する習慣も始めました。
細かいメカニズムはここでは述べませんが、これだけでもかなり頭の中がスッキリし、現実の見え方が変わります。
次に、人との関わり方における負債習慣に手をつけます。
人のせいにしたり人を責める習慣は、幸いさほど強くありませんでしたが、人が喜ぶ事よりも自分の楽しさを優先してしまう態度(習慣)は残っていました。
こちらも仮説検証ループを回し色々試しながら解消して、プラスリターンの習慣に変えていきます。
習慣化も仮説検証ループで、何度も失敗しながら目的にとってより良いものにしていきます。
もちろん今でもしょっちゅう「ああここ気遣えなかったな」「やっちゃった」と思います。
体の細胞が1~2年ですべて置き換わるように、自分も他者も現実も常に変化し続けます。
すべてが絶え間なく変化し続けるので、仮説検証ループを回し続ける限り「完璧になった」と言える日は死ぬまで来ません。
思考パターンが変わる→自分の態度が変わる→相手との関係性が変わる
自分の中での優先順位が変わると思考パターンが変わる。
思考パターンが変わると見える現実が変わるので、自分の態度も変わります。
その結果、まず相手との関係性が変わり、それにより相手の態度が変わります。
私の場合、これまで自分が楽しめるか、興味が持てるかどうかを優先して考えていました。
その優先順位を変えてみて、まず相手が何を欲しているかにフォーカスを当て、自分が与えられるものであれば提供する事を拙いながら始めました。
優先順位を変えてみるという仮説検証です。
提供したものがピッタリはまった時は、相手にとても感謝されます。
当然相手の心を読む事は出来ないので、これは相手の欲しいものを見きわめるテストとしての仮説検証でもあります。
そうすると、ただの友人から積極的に与え合う関係性に変化したりする。
連絡頻度を含め相手の態度も変わると、それを受け取る自分の中で生じる感情のパターンも変わります。
相手との関係性が変わる→相手の態度が変わる→自分の感情パターンが変わる
「これだけ喜んでくれるなら提供した(何かをやった)甲斐があったな。
お返しも心を砕いてくれたもので嬉しかった。また機会があれば力になろう」
と、次の提供機会にフォーカスがいくので思考パターンが変わり、それにより態度も変わり、また関係性が変わる(良くなる)というループに入っていきます。
相手と自分が、本当は何を欲しがってるかを把握する
お金を払って何かを手に入れる場合、相手が何を欲しがっているかを考える必要はありません。
しかし仮に直接何かを交換する場合、お互いが欲しがっているもの、提供出来るものがマッチングしなければ取引は成立しません。
お金だけを多く持っているオジサンは、エッチなお店では遊べても、お金になびかない美女からは相手にされません。
千と千尋の神隠しにおける、カオナシと千みたいなものです。
美女との関係性が欲しいなら、その美女の欲しいもの(たとえば安らぎや刺激)を提供する必要があります。
つまり、まず相手の欲しいものを把握する必要がある。
異性と距離を縮めるのがきわめて上手い人や敏腕セールスマンは、この精度が著しく高いように見えます。
また相手の欲しいものだけではなく、自分が本当は何を欲しがっているかを把握するのも、実は簡単ではありません。
現代社会は、人々の注意をひくための様々な刺激・マーケティングメッセージにあふれています。
その中には、必要でもないものを欲しいと思わせるメッセージや、短期的な欲求を今すぐ満たす事を肯定するようなメッセージも大量に含まれている。
その上、モノにせよサービスにせよ学習にせよ、目につく選択肢は値段のついたものが多すぎるため、私達は欲しいものをお金を経由して見る事に慣れてしまっています。
こうした現代社会の環境もあって、自分が「本当に欲しいもの」と「欲しいと思わされてるもの」の区別がつきにくくなっている。
相手が欲しいものと同様、自分が本当に欲しいものに関しても、直視した上で仮説検証ループを回して明確にする事が必要です。
その上で、自分が提供出来る元手として何を持っているかを考える。
無形のもの、たとえばスキル、知識、相手の目的に適うようカスタマイズした体験談などであれば、提供しても減る事はありません。
スキルや知識に関しては、アウトプットしてフィードバックをもらう事で、むしろ元手としての価値は減るどころか増えていきます。
お互いが欲しいものを見きわめ、お互いの元手=多く持っているものを見きわめ、リクエストして交換する。
お金を使って手に入れたらお金が減るだけですが、たとえば英語コーチとパーソナルトレーナーがお互いのセッションを「欲しがって」いて、直接交換するとしたら。
お金で手に入れる場合に比べて2人ともスキルが向上し、2人の関係性も向上し、相手が欲しいものを見きわめる能力が向上し、それによりサービスが磨かれ元手(セッション)の価値が上がる。
その結果その元手をお金に換えようと思った時により大きい額に換える事も出来る。
自分が本当に欲しいものを自覚してから、「これを得る、これをやるために資金がこれだけ必要だから、今回(もしくは当面)はお金で貰う」というように、お金で貰うという選択肢も、One of Themとしてとれる。
社会性のある事をする時にはお金を使うので、お金に換えられる元手を持っておく事で個人の枠を越えた選択肢も広がる。
このように自分と相手が欲しいものとお互いの元手を観察する能力と、リクエストする能力を上げる。
そうすると、自分が本当に欲しいものを手に入れる力と関係構築力が上がり、お金を払う・お金を貰う以外にも選択肢が広がる事で、自由度が上がります。
完全な直接交換が難しくとも、「自分がサービスを提供する対価として、一部を食事・宿泊で受け取り、足りない分はお金で貰う」など、双方が納得していれば交換の形は多種多様です。
仮説検証ループを回すLife
Lifeという言葉には、いくつかの意味があります。
日本語でいうと、生活、人生、生命。
このLifeにまつわる本の中で、面白い本があります。
文字通り生命を懸けてさまざまなチャレンジをするエクストリームスポーツプレイヤー達の極限の精神状態についてと、それをどう私たちが生活・人生に活かすかが書かれた本です。
この本の中で、
QOL(Quality of Life)の観点から言って、日常生活でフロー状態になる機会の最も多い人が一番幸福
といった言葉があります。
フロー状態とは、時間の経過を忘れるほど集中して、対象に精神的に入りこんでいる・没頭している状態。
フロー状態になる条件として、以下のものがあります。
①明確な目的
②自律性(自分で決めてやっている感覚)
③取り組む事が限定されている。集中できる
④直ちにフィードバックが得られる
⑤今の自分にとって、程よく難易度が高い
⑥目的だけでなくその活動自体に本質的価値を感じる
⑦行為と意識の融合(自分は何か大きなものの一部と感じる)
具体的な例でいうと
- スポーツにおける、実力が互角な相手との勝負
- もしかしたら関係を持てるかも知れない相手とのデート
- 自分の意思で受ける、当落線上の試験とその準備期間
などがこれに当たります。
上記のようにフロー状態は、スポーツやデートのような短時間の活動だけに見られるものではなく、試験の準備期間のように比較的長期間見られる事もあります。
そして条件①~④は、仮説検証と関わりが深い。
条件①の「明確な目的」と条件②の「自律性(自分で決めてやってる感覚)」は、前項で述べた「自分が本当に欲しいもの」ともつながります。
生活や人生というスパンにおいても、内発的動機づけに基づいた、フィードバックを伴った仮説検証ループを回す事でフロー状態になりやすい条件を整えていく。
そもそも私たちの生命活動自体が、環境のフィードバックを受けそれに応じて汗をかいたり身体を震わせるなど、何らかの反応をするものです。
個体単位でもそうですし、群れなどの集団や種の単位でいっても、環境のフィードバックに適応出来なかったものは滅び、上手く適応したものは繁栄しています。
赤ちゃんも、親や保育者のフィードバックを受けて言葉を覚えます。
また色々なものを触ったり口に入れたりして、感覚を通したフィードバックをもとに現実の認識をアップデートしていきます。
フィードバックを得て仮説検証ループを回す事は、生命活動そのものとも言えます。
観て、考えて、動いて、つなげる。を促進する場として
ここまでお話した事をまとめると、
- フロー状態になる機会が多い人生は楽しいし幸せ。色んなフィールドで目的を持って仮説検証ループを回したほうが、そのための条件が整いやすい
- 習慣化、脱習慣化も仮説検証ループを回しながら行う。目的にとってマイナスな習慣は削り、プラスの習慣は強化する
- 相手が欲しいものはおろか、自分が本当に欲しいものですら簡単には見えない
- 自分が欲しいものと相手が欲しいものを直視、観察して、お互いの元手=相手より多く持っているものをマッチングして交換する。このスキルが向上すると、選択肢が増えて自由度も上がる
- 知識、情報、体験はそれ自体では意味がなく、人の記憶、経験、未来とつながった時に初めて意味を持つ
「仮説検証ループ」を動詞で説明し、上記の内容とつなげると、こうなります。
①現実を観察する(観る)
②考えて仮説を立てる(考える)
③立てた仮説に基づいて動く(動く)
④動いて得た結果を踏まえた、すなわちアップデートされた認識で「現実」を観察する(情報と体験を、自分の記憶・経験とつなげる)
⑤考えて仮説を立てる(④で得たものを未来とつなげる)…
観て、考えて、動いて、つなげる。
Life Labsは、この4つを促進する場にしたいと思っています。
具体的には、たとえば自分が欲しいものを明確化するための勉強会、ワークをやったりして、それをもとに仮説検証ループを回したデータを持ち寄ったりします。
そうして得た参加者さんのフィードバック、要望をもとに、企画・運営を進めていきます。
つまりLife Labs自体が巨大な仮説検証装置です。
それゆえ具体的な道筋や展開方針は現状未知ですが、このLife Labsという船が向かう方向性は決まっています。
それは
目的を持って意義を感じ、しかも楽しみながら人の役に立っているという実感を持ち、本当に欲しいものを得る力も拡大する、楽しく優しく強い世界です。
そしてその船の向かう先と、クルー=参加者さんの目的が調和し、循環している。
その船乗ってみたい!
と思う方のご参加を、心よりお待ちしております!
追伸:
最初は名古屋を中心に活動を進めていく予定です。
ご質問等ありましたら、お気軽にお問い合わせくださいませ。
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