少し濃いめの自己紹介

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こんにちは、テツヤです。

今回は、「このブログを書いてるのはどんな人間なのか?」が気になった人向けに、それがつかんで貰えるよう少し濃いめの自己紹介をします。

ごく普通の家庭に生まれ、これといった取り柄もなかった幼少期

1989年某日。

愛知県名古屋市の某所にて、他の子ども達と同様、母の数時間にわたる激闘のすえ私は産まれました。

保育園・小学校の頃は特にこれといった取り柄もなく、楽しくも内気な少年時代を過ごします。

記憶にある限り一番輝いていたのは、6年生の時の学芸会。

内気だったにもかかわらず、なぜか「シ〇〇ーをやってるという設定のツッパリの番長役」を任され、勇気を出して大勢の前で(巻き舌でw)大声を出した時でした。

人が勇気を出している姿や、ビビりながらも突撃している姿を見ると私は心を打たれるのですが、その原体験はここにあるのかも知れません。

さしたる目的もなく、消極的理由で身体を鍛えまくった中高時代

小学校5年生の時。

私は内気で身体も小さい方だったことから、同い年のジャイアン的な少年・Kくんからイビられるようになりました。

父からは

「同い年だろ?何がコワイんだ。1回Kと思いっきり喧嘩してみろ」と言われるものの、当時のテツヤ少年につっかかる勇気はなく。

とはいえこのまま弱い自分でいるのもイヤだ!

と思い、身体を鍛えることを始めました。

腕立て・腹筋・斜め懸垂を毎日やって、それなりに体力がついてきます。

一度だけ泣きながらKくんにつっかかったら、本格的な喧嘩にまではならなかったものの、その後Kくんのイビリは少しマシになりました。

中学に入りあるていど身長が大きくなったこともあって、内気でもしっかり鍛えているとヤンチャな同級生たちも変な絡み方をして来なくなります。

こうした経験もあって、高校時代は帰宅部にもかかわらず、自衛手段と趣味をかねて身体を鍛え続けていました。

格闘技もスポーツもやらないくせに、懸垂は40回出来て握力は70kgを越えているという何を目指しているかよくわからない少年でした。

「こんなに鍛えて意味あるのか?」と疑問を持ちつつも、惰性でやっていることをやめるという選択肢を当時は持てず、トレーニングを続けていました。

そんななか高校3年生の時、ネットサーフィン中たまたま米国のストリートバスケの動画に遭遇。

(この動画↓でした)

AND 1 MIX
And1Song: "NO GOOD - Ballin' Boys"enjoy!!!!

あまりのカッコ良さにシビれてしまい、 モテてなかったのでモテたかった鍛えた身体を使う場がなかったのもあってバスケを始めました。

つちかった取り柄(健体)が失われ、未熟な振る舞いにより友人関係ほぼ断絶

ハードルが高い/無理/不可能 - クリップアート / 写真 / イラスト / ピープルズ / 無料ダウンロード / 人物

20歳になった私は、垂直跳び85cm、友人からは「グラップラー刃牙」と呼ばれるような身体をしていました。

元プロプレイヤーのアフリカンアメリカンの友人をツテに渡米することを考えておりましたが、そんな矢先、私は練習中に左脚のアキレス腱を傷めてしまいます。

早く治したいがために休養をしっかりとらずダマシダマシ身体を動かしてしまい、怪我を慢性化させます。

想定と現実との乖離にどんどん焦りが強くなっていく。

そして身体しか取り柄のなかった私の人生に、大きな転機が訪れます。

当時私は、自転車を何十台と4tトラックに積んで運ぶというアルバイトをしていました。

その最中に、私が助手席から降りてトラックから離れたことをしっかり確認しなかった運転手さんが発進してしまい、トラックの前タイヤで左足を潰されます。

渡米どころではなくなりました。

脚を動かせなくなった事により、周囲60cmほどあった太ももがどんどん細くなっていく様を文字通り泣きながらただ眺めるだけ。

「あんなに鍛えたのに…」

「まだまだ伸びるのに…」

「これ(身体)しか取り柄ないのに…」

生まれて初めて味わう大きさの精神的苦痛に対して、私はどうしていいかわからず

同い年のスポーツ選手が活躍している姿をテレビで観て、自分をゴミのように感じていました。

人間的に非常に未熟だった私は、「弱っているところを見せたくない!」「同情されたくない!」という余計なプライドから、人に会う事を避けるようになりました。

のちに不思議な巡り合わせで復活したものを除けば、前述のアフリカンアメリカンの友人も含め小中高ほとんどの友人関係がここで断絶してしまいます。

20代の方向性を決定づけたニート時代

身体を動かせなくなり働きもせず人とも会わないヒキコモリニートとなった20歳の私。

鍛えた身体で内心ドヤることでアイデンティティを保っていた当時の私が事故の現実を受け容れるには、年単位の長い時間が必要でした。

のちに色んな人を見ていく中で再認識したことですが

身体を鍛えているからといって必ずしも精神的に強いわけではない。

ガタイがいい精神弱者もいることに、この時気付きます。

バスケと米国への未練を残しつつ、現実逃避兼ヒーリングとして色んな本を読み漁ります。

傷心の20歳がいかにも手をつけそうな本を片っ端からいきました。

自己啓発、心理学、哲学、ビジネス書…

様々なジャンルの本を読む中で、自分にはある重要な分野の知識・そしてそれにまつわる感覚がひどく欠如していることに気付きます。

その分野とは、歴史です。

あなたは学生時代に歴史は好きでしたか?

私は嫌いでした。

いや、大っ嫌いでした。

視野が極端にせまかった中高時代の私は、歴史という教科をこう解釈していました。

「退屈な先生の退屈な授業を睡魔と戦いながら聞いて、自分の人生において何の役に立つのかわからない事を大量に覚えさせられる拷問。こんなことに時間使うならトレーニングしたい

はい、文字通りの筋肉BAKAですね笑

そんな筋肉BAKAも、働きもせずに色んな本を読み漁っていたらさすがに気付きます。

「歴史について知らないことが多すぎる。そのせいで、大事なところで何を言ってるのか全然わからない」と。

近現代史がわからなければ現在起こってる事がわからない、中世史がわからなければ近現代史がわからない、古代史がわからなければ中世史がわからない。

時間はたっぷりあるから、この機会に世界史日本史ともにイチから学び直すぞ!

と決心し、ここから長い長い時間をかけて歴史を学ぶ道が始まります。

学習に時間がかかる分、深く傷ついた心のヒーリングにはちょうど良かったのかも知れません。

ちなみにビジネス系の本も読みましたが、「お金を稼いだところで一番やりたいこと(=身体を動かす)が出来なきゃ意味がない」という想いが強く、内容はほとんど入って来ず。

  • 一番やりたい事が出来なくなる
  • ビジネスやお金に対して興味が薄い
  • 心理学・哲学・歴史に興味関心のベクトルが向く

この3つの要素が私の20代の方向性を決定づけました。

失うものと得るものは表裏一体

事故でやりたい事が出来なくなった影響で、「自分がやりたいかどうか」「自分が興味を持てるかどうか」が私にとって最優先の判断基準になりました。

そのうえ子どもの頃から人(他者)への関心が薄かった私は、

  • 世間の流行や他の同世代が何をしてるかには我関せず
  • 上の世代のありがたい助言に対しては「何か言ってるな」
  • 人が喜ぶかどうかには関心がなく、自分が楽しいかどうかが大事

という態度をとるようになっていました。

根本的な未熟さは抜けていません。

とはいえ、何事にもポジティブ・ネガティブの両面があります。

この自分ファーストの態度を数年間とる事で 20代の私の人格にもたらされた影響として考えられるのは、まずネガティブ面として

  • 人への関心が薄い事により、様々な人間関係の中で経験する、喜怒哀楽を通した意識の発達機会を得にくい
  • そのため他者貢献・社会貢献の意識も育ちづらい
  • よってアドラー心理学でいうところの、「共同体感覚」からくる幸福も得られない

ポジティブ面としては

  • 日本社会において よしとされる価値観の、負の部分の影響をあまり受けていない
  • それに加えて世界史や哲学等を学んでいるので、見逃されている前提に気付いたりなど、一歩引いた視点を持ちやすい

などがあります。

人に慣れるために、販売員や教える仕事も経験しましたが、お客さんや生徒さんひとりひとりにズームインした興味関心のベクトルはそこまで強くなかった。

しかし、ズームアウトした外の世界や、人間そのものの心理への興味関心のベクトルはどんどん強くなっていきました。

外面的な旅:4ヶ月の海外周遊で変わったもの

20歳の時のトラック事故以降、世界史関連の本をあれこれ読んでいく中で、私はモンゴル帝国に興味を持つようになりました。

モンゴルといえばあなたは何を思い浮かべるでしょう?

どでかい相撲とり、地平線の果てまで広がる草原、そこで素朴な暮らしをする遊牧民といったイメージでしょうか。

もしそれだけなら、モンゴルが世界に与えた影響を十分に知らないかもしれません。

現在のモンゴルは、中国とロシアの二大国に挟まれた新興国ですが、かの地から始まったモンゴル帝国は世界史に、そしてユーラシア大陸の文化に絶大な影響を与えています。

(そもそもその二大国自体がモンゴル帝国の継承国家とする考え方もあります)

モンゴルの草原から出発した遊牧民が、最大版図でいうと東は朝鮮半島から西はポーランドまで、鉄道もない時代にあれだけのネットワークを広げ文化的にも多大な影響を残した。

帝国のかつての領土は、現在何十もの主権国家が統治し、モンゴル国自体も大国ではなくなっている。

そのダイナミックな動きに心を惹かれました。

実際にかつての領土である現地に言って、そこにいる人々・その土地の文化を体で感じてみたい!

最初はぼんやりと「行きたいなー」程度の想いで、はたから見たら

「行く行く言うて全然行かんやん笑」

と時々ネタにされるような状態でしたが

想いは日増しに強くなり、自分でも何故だかわかりませんが「今行かなければ人生詰む」と感じるほどに、海外へ出たい想いが膨らみます。

帰って来てからどうするのか、そもそも無事に帰って来れるのか。

そんな不安や恐怖はあるものの、それ以上に行きたい想いを抑え切れない。

覚悟を決めた私は、30歳で海外周遊の時間をとるために仕事を辞めます。

海外での安全に関しては、もちろん色々な対策をやった上でですが、「何らかのトラブルで帰国する事になったり、最悪身ぐるみ剥がされても死ななければ良い」とまで考えていました。

それまで住んでいたシェアハウスを引き払い、バックパックを背に関西国際空港に向かいます。

初めての海外一人旅でほぼぶっ通し4ヶ月。

最初に訪れるのは、中華人民共和国のハルビン。

北京語の飛び交う列に並び、完全に未知の世界に飛び立つ不安で逃げ出したくなる気持ちを押さえながら、搭乗ゲートが開くのを待ちます。

ふーっと深呼吸してゲートをくぐる。

この搭乗ゲートをくぐる時が、旅の中で一番勇気を出した瞬間かも知れません。

飛行機に乗ると、日本語はどこにもなく、おそらく日本人は自分以外にひとりもいない。

自分を乗せた旅客機は、滑走路を走るスピードを徐々に上げ、機体を傾けながら離陸する。

体にかかるGとともに、日本の陸地から完全に飛び立ったことを感じる。

「ああ、もう逃げれないな」

私はその時、ひとつの言葉では表現しがたい生まれて初めての感情を味わいます。

覚悟・諦め・リラックス・そしてちょっとの期待とちょっとの不安、それらすべてがシチューのように混ざった、穏やかでありつつもカオスな感情。

仮眠をはさんだこともあって少しずつそのカオスは落ち着き、地に足がついてきます。

ちょっと残る不安にドキドキしながら、しかし覚悟をもって夜のハルビンに降り立ちます。

時折鳴り響く北京語の怒号を耳にし、「着いた」ことを実感します。

ハルビンで空港にもかかわらず多くのスタッフに英語が通じなかった事をはじめ、中国でタフな・およびファンキーな出来事をたくさん体験した後

おもに陸づたいでモンゴル→ロシア→ポーランド→チェコ→スロバキア→ハンガリー→オーストリア→イタリア→ギリシャ→トルコとまわっていきます。

寝ちゃったら何をされるかわからないからほぼ一睡もしなかった、個室に鍵もついてないホテル(?)

こちらが日本人だとわかった途端に密室で脅迫してくるガタイのいいチンピラに、お金も渡さず殴られもせず会話だけで乗り切る

催眠とセールスの応用テクニックをこれでもかと使いまくる詐欺師(たぶん)と、彼らのホームの地下室で怒鳴り合い

など、何度かの修羅場を含め日本ではなかなか出来ない経験をする事が出来ました。

しかしどれをとっても、最初の一歩を踏み出す時(搭乗ゲートをくぐる時)ほどの不安はなかったです。

旅の内容についてはそれだけで何記事も書けてしまうのでここでは述べず、旅によって自分の中で変わったもの・得たものをいくつか挙げます。

  • 見知らぬ人でも言葉が通じなくても、親身になって助けてくれる人々の存在を知った
  • 修羅場をくぐれる自信
  • 長い時間をかけてその土地で育まれた様々な文化を体感したり、意識的にせよ無意識にせよその文化を守り紡いでいる、現地の人々とふれ合った事による空間的・時間的視野の拡大
  • 本や映像越しでしか知らなかった知識が、五感を伴った経験とつながった

他にも挙げればたくさんありますし、初対面の人への私の態度を見た友人が「変わったね」と言ってくれる事もありました。

実際に海外を旅して大きく変わる方もたくさんいると思いますし、私自身も感情の動く多くの貴重な体験をしました。

そのすべてが宝物です。

しかし振り返ってみて正直にいうと、私の場合根本的なところでの大きな変化はなかったです。

「海外に行きさえすれば何かが変わる」

もしそう考えている人がいるならそれは、

「宝くじが当たれば、お金の悩みがなくなって人生バラ色」

「このスクールに入れば/このスキルさえ得られれば、自分のビジネスは安泰」

などと同じく、自分の外側に一発逆転をさせてくれる何かを求めている姿勢からくるものです。

「痩せさえすれば俺はモテる」

「整形してカワイクさえなれば、幸せになれる」

も同様です。

一説には宝くじ高額当選者の70%が数年以内に破産するといわれていますし

同じスキルを学んでも、それで跳ねる人もいれば、上手く活用出来ていない人もいます。

私の場合、海外を周遊して確かにある程度は変わりましたが、後の根本的な変化に比べるとこれは単なる布石のひとつに過ぎませんでした。

「海外で修羅場はくぐれるのに、仕事は続かない根性なし」

海外周遊から帰ってきたのが2019年の9月。

ご存知の通り、その翌年2020年から世界はパンデミックに入ります。

「海外から帰ってきた私は、こんな成功街道を歩みました!」

と言えればカッコイイのですが

実際には、1日がとても長く感じた海外周遊の濃密な期間がまるで嘘だったかのように、同じ数ヶ月間があっという間に蒸発する過ごし方をしていました。

海外はおろか国内での旅行も憚られていることもあって、遠出をしない。

仕事以外では家からもあまり出ない。人とも会わない。

そして本ばかり読んでいる。

「あれ…これって10年前に事故った後と同じ生活じゃないか?」

と恐ろしいことに気付きます。

意識的な選択をしない・五感を動員しない・感情が動く機会が少ないと、時間はあっという間に蒸発していく。

そして蒸発した期間は、記憶にも残りません。

あっという間に時が過ぎ去り、振り返っても空っぽ。

そんな

「あれ?あの期間、自分何してたんだっけ?」

と思うような期間を、あなたはお持ちでしょうか。

私の場合、たとえば20代前半期がそれにあたります。

人によっては黄金時代と形容されるこの時期ですが

私にとってこの期間は蒸発しているので、本を大量に読んでいたという事実以外に覚えていることは、ほとんどありません。

2020年も、そういう「空っぽの」期間となりました。

これ以上時間を蒸発させると

「1年って早いねー」と毎年言ってる、薄い体験しかしてない中身も記憶もスカスカなおじさん

になってしまう。

30歳を過ぎていた私はそう危機感を覚えます。

とにかく何か変化が欲しい。

「20歳の時の事故から目を背けていた、”お金”に向き合ってみるか…」

そう思い、2021年は副業を探す事に。

時間や場所に縛られない事と、20代の時少し触った事があったためFXを選び、それなりにお金を使い1年間取り組んだものの結果は出ず。

翌2022年はスクールに入ってWebデザインを学び、お金を頂いてホームページを作ったりデザインをする状態にはなったものの。

その仕事が楽しくもなく得意でもなかった私は、何十年も続ける気になれずやめてしまいます。

「自分は海外で修羅場はくぐれても、仕事は続けられない根性なしなのか?」

自信を失いかけていた私はふと、2019年にベトナムで知り合った若手マーケターYさんから教えてもらったある人物の事を思い出します。

本人はFXを一切やらないにも拘わらず、脳科学やコーチングのスキルを駆使しFXトレーダーを指導するその人物は、「チャートの外での習慣が、チャートを見る時に持ち込まれる」と断言します。

2019年当時はFXをやっていなかったので気にならなかった彼のコンテンツですが

FXに1年間取り組んで結果が出なかった今なら何か得られるものがあるかも。とくにチャートの外の習慣の話が気になる

と、彼のコンテンツを購入します。

結果は大当たり。

彼のコンテンツが素晴らしかったのは勿論ですが、それ以上にその情報が入る器・それを行動に変える器が、これまでの経験を通して自分に出来ていた事が大きかった。

習慣や人間関係を見直し、創り直していくことで

海外をまわっていた時に匹敵する、1日がとても長く感じる濃密な期間が再び訪れます。

これは誇張ではありません。

同じ人に会い、同じ場所を訪れても、これまでと全く違う現実が立ち上がってくる、内面的な旅の始まりです。

内面的な旅:同じ人に会っても、同じ場所を訪れても

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物語における旅、というと大体このパターンです。

日常→非日常(異世界)への旅立ち→試練→宝を得て日常に帰還

私がしたものを含め多くの海外周遊は、わかりやすくこのパターンをたどります。

  1. 海外へ出国=わかりやすい異世界へのわかりやすい旅立ち
  2. 旅の道中に経験するさまざまな困難=試練
  3. たくさんの思い出や内的変化を得て帰国=宝を得て日常に帰還

しかしこの時私が新しく始めた旅の舞台は、はたから見るとわかりにくい、同じ場所にいて同じ人に会いながらも、今まで見落としていたものが次々に現れるという類の異世界でした。

やったことのごく一部を挙げると

  • 連絡先の大量削除を含めオフライン、オンライン両方で断捨離
  • 腸内環境を整える
  • 心身がバッチリ準備できるための朝ルーティンを作る
  • ムカついている人に直接「ありがとう」と言う
  • 誰にもバレないようにこっそり良いことをする…など

一発逆転をさせてくれる魔法のような何かを自分の外側に求めていると、こう思えるかもしれません。

「えっ、そんなこと?」

もしくは

「ああ知ってるヤツだわ」

同じ情報でも人によって入り方が全く違うのはもちろん、同じ人でも受け取るタイミングによってその情報の入り方が全く違います。

私もタイミングが違えば、行動に移したりしなかったかも知れません。

しかし大学教授数百人分の知識を持つ生成AIを、24時間365日誰でも無料で使える社会では、「知ってるだけ」の状態にほとんど価値はなくなりました。

今までだったら変えなかった行動、習慣に次々に手をつけ、自分の最も見たくない部分を直視し掘り下げたのが、この内面的な旅における試練。

最も見たくない部分とは、自分が本当は何を欲しがっているのか、何が怖いのか、どんな時に逃げたくなるのかなどです。

それを経て手にした最も大きな宝は、自分の行動のパターン・感情のパターン・思考のパターンに介入する習慣でした。

これは、海外周遊で手に入れた宝たちよりもはるかに大きなもの。

2023年のことでした。

発達のやり残しを埋めにいく

そして翌2024年。

個人にせよ集団にせよ、人間の意識は発達するにつれ8つの段階を経るという考え方があります。

(詳細が気になる方は、リンクに飛べば説明を読むことが出来ます)

その理論を学ぶ中で、私はステージ5(オレンジ)の段階をしっかり経ていないことに気付きます。

ステージ5(オレンジ)の段階とは、慣習にとらわれず合理的に結果を求めることに重きをおく意識段階。

個人で言えば、社会の慣習の枠にとらわれず自分の意思で進路を選び、自分の設けた目標達成をゴリゴリ目指す段階。

社会全体で言えば、合理的に利益を求め続ける成長重視の資本主義は、ステージ5(オレンジ)の特徴が強く出ています。

健全な発達とは

今いるステージを味わい尽くす→不協和を感じる→次のステージにいく

という段階を踏み

もし味わい尽くす前に次のステージに行ったり、ひとつ飛ばして次に行ったりしてしまうと、そのやり残したステージに対しての中毒やアレルギー反応が出るとされています。

私は

20歳の事故で目標を失った後、現実逃避兼ヒーリングで世界史やさまざまな文化を学ぶ

という動きをしたこともあって、ステージ5(オレンジ)を飛ばしてステージ6(グリーン。多元主義)以上に来てしまっているように思えました。

その結果、ジャンプ漫画などで主人公が負けて悔し涙を流す姿を見ると「羨ましすぎる!」と、過剰な反応を示すようになってしまいます。

発達のやり残しを埋めるために、ステージ5(オレンジ)を味わい尽くすにはどうすれば…

そう考えた私は、ひとつの案を思いつきます。

「”好きなことで食べていく”ではなく、”合理的に結果を追い求める活動”として何かビジネスを始め、資本主義社会で結果を出しているステージ5(オレンジ)の特徴が強く出てる人と密に関わろう」と。

ちょうど先述した若手マーケターYさんが合理主義のカタマリのような人だったので、彼に半年間のコンサルを申し込むことを決めます。

金額も金額だったのと、スクールとは違う「最初から最後まで自分が中心となって考え、動き、100%の責任をとる」形の買い物だったので、購入時のZoomの面談時は

「やめろやめろ!今ならまだ引き返せる」

という声も頭の中で聞こえました。

しかしこういう時に一歩踏み出す勇気が、どれだけの宝を後に与えてくれるものか

それを海外周遊からたくさん経験していたので

話を聞いた後、Yさんからの「(申し込み)どうされますか」の問いかけには

バクバクいう心臓の音を感じながらも即答で「申し込みます」と応えました。

この時点では、彼にとっても私にとっても未経験の試みをする予定だったこともあって

「僕も、死に物狂いでテツヤさんの力になります」

とYさんは言います。

ああ、こんなエネルギーの高い言葉ずっと耳にしてなかったな

という感慨と、高い買い物をしたあと特有のちょっとした喪失感に浸ります。

コンサル期間がスタートし、市場リサーチを経て自分のリソースを照らし合わせた結果

当初の予定とは違うビジネスを始めることになりました。

形としては、あるジャンルのコンテンツホルダーと提携し

私が複数の媒体を通して人を集め(集客)、そのコンテンツホルダーのサービスのセールスまで行い、売上の何割かをシェアするというもの。

最初はネタ作りから編集・アップロードまで全部自分でやるところからスタートし

リスクヘッジとして、それぞれの工程をマニュアル化したうえで複数の外注さんに任せるようになります。

詳細は伏せますが、最終的には想定ほどフォロワー数が伸びず(数千人)、外注マニュアル含め全6アカウントを売却する形で半年のコンサル期間は幕を閉じました。

この言葉を聞くと合理主義で結果を求めるコンサルの彼は嫌がるでしょうが、望む結果にならなくとも得られるものがたくさんあった半年間でした。

具体的には

  • 初めて複数の人に給料を払う立場になったことにより必要となった、一部のマネジメントスキル
  • やっかいな人とのトラブルの芽を摘む、相手目線でのコミュニケーション力の向上
  • Yさんの、時に優しく時に厳しいフィードバックにより浮き彫りになった今後の課題

など

とくに最後のZoom通話でのYさんのフィードバックは宝の山で、次の動きに直接つながるものでした。

ひとつ例に挙げると

「(事業を伸ばすために)自分がこうしたい、ああしたいがもっとあるといい。

いや、もっとなきゃダメだと思います。その辺のスタンスが甘い。そうしないと死んでいく

Yさんとの最後のZoom通話は、それ以外にも自分の見たくない部分をえぐり出してくれる、快適とは言い難いもののとても有益な時間でした。

2023年の内面的な旅以前であれば打ちのめされて終わっていたであろう言葉の数々も、次の動きにつなげるためのフィードバックとして受け止めました。

Yさんのフィードバックで浮き彫りになった課題のひとつ

30年以上ずっと手をつけていなかった、遠慮しがち・積極性に欠けるという感情パターン・行動パターンに介入するため、ブラジリアン柔術を始めます。

なぜブラジリアン柔術なのか?

ボクシングやキックボクシング、総合格闘技では、その危険性からスパーリングを毎回全力ですることが出来ません。

しかしブラジリアン柔術であれば、格闘技の中では比較的安全なことから毎回全力でスパーが出来る。

当たり前ですが、全力で抵抗してくる大の男を相手に遠慮をしていたら絶対に技はかかりません。

その状況では、積極的に攻めざるを得ない。

そういった動きをたくさんすることで、脳の回路が変わっていく。

そしてそういう人ばかりが集まっている環境に身を置くことで、そういう動きがしやすくなる。

結果、行動のパターン・感情のパターン・思考のパターンが変わっていきます。

ちなみに2025年8月現在は怪我により柔術はストップしているので、それに応じた動きをしています。

”もしおまえが、現在によく注意していれば、おまえは現在をもっと良くすることができる。そして…”

ここまで長い文章を読んでくださってありがとうございます。

この見出しは、ブラジルの文学作品

アルケミスト- 夢を旅した少年

からの引用です。

この物語は、大切なものがそばにあったが気付かず、冒険して戻ってくると身近にあったことに気付くという話です。

見出しの言葉は、こう続きます。

もしおまえが、現在によく注意していれば、おまえは現在をもっと良くすることができる。

そして、おまえが現在を良くしさえすれば、将来起こってくることも良くなるのだ。

私たちには、習慣や特定の文化など、気づかないうちに自分が従っている“見えないルール”があります。

その中で、望ましくないものはとり除き、望ましいものは強化する。

“見えないルール”を見直すことで、昨日と同じ今日を条件反射で再生し続けることを止める。

反射的・反応的ではなく、「選択できる自分」になり

昨日とは違う今日を過ごすことを選び、ダイナミックに未来を創り始める。

一発逆転を夢見て魔法のような何かを探さなくても

ダイナミックに未来を創り始めるために手をつけられることは、見落としてるだけで目の前にゴロゴロ転がっています。

そんな「今まで目の前にあったのにスルーしていた現実」へ光を当て

のちに大木に育ちうる変化の種を蒔くラジオを、Stand.fmで放送しています。

今日もスルーした何かに光を当てるラジオ

具体的なアクションについてもお話していますので、あなたの動きを変えるヒントとして聴いてもらえると嬉しいです。

ご感想やもっと深く掘り下げてほしいところ等ありましたら、お気軽にコメントやDMください!

あなたの旅の力になれることを、楽しみにしています。

ありがとうございました。

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