本を読んだ直後は「ああ、なるほど!そういうことか」と、まるで人生の答えを見つけたかのようにわかった気になる。
でも1週間、1ヶ月経つと
「あれ、あの本に何が書いてあったっけ?」
ひどい場合は読んだことすら忘れてしまう。
そんな経験ありませんか?
私はむっちゃくちゃありました。
興味のある分野の本をとりあえず読み漁るも、1ヶ月も経てばほとんど憶えていない。
マジで憶えていない。
「これは社会勉強になりそうだ」とYouTube動画を見始めるも、「社会勉強」ととらえる範囲がどんどん広くなって、結果関連動画の沼にハマり、夜更かしして気だるく朝を迎える。
何度自己嫌悪を覚えたかわかりません、ほんとに。
私が個人的に大事にしている「仮説を立て、それをもとに行動しフィードバックループを回し続ける」というスタンスがあるのですが、心に浸透する形でその考えと出会い行動に反映させ始めたのは2年前。
しかし本棚の整理をしていてわかったのは
- そのアイデアが書いてある本は15年前、20~21歳の時に読んでいた
- しかしその本を読んだことすら憶えていなかった
- つまり10年以上行動に反映できていなかった
我ながらなんとも間抜けなエピソードですが、逆に言うと
読んだ本の内容を、どれくらい行動に落とし込めているかを考えた時、「読んだ本の内容は、すべて生活や人生に反映させている」ともし自信を持って言えるなら、おそらくその人は、社会的に普通の存在ではないでしょう。
それを踏まえて今回は、学んだ気になって終わるインプット中毒の人生から脱出する方法をテーマにお送りします。
それではどうぞ!
「アウトプットすると時間が減る」
アウトプットした方がいいよ、アウトプットした方がいいよ
という情報はよく目にするものの
「いちいちアウトプットしてたら時間が減る」
そんな思い込みを私は持っていました。
インプットはたくさんするけど、アウトプットする機会は持っていない。
いやアウトプットする機会を作らない。
でもこれ、結構あるあるなんじゃないかなと思います。
めんどくさいですよね、アウトプット。
仕事の合間にインプットして、その上アウトプットまでしてたら時間がなくなっちゃう。
勉強したいことがこんなにたくさんあるのに!
そう思っていました。
しかしいざ重い腰を上げアウトプットすることを習慣にしてみると、あまり見たくない現実として、どうやらアウトプットなきインプットこそ時間の無駄だったということがわかってきました。
アウトプットすることで、インプットした内容の記憶の定着率がどれほど変わるのかを示した、ラーニングピラミッドという図があります。
ここにある数字には科学的根拠はないとされています。
しかし人前で発表したり、学んだ内容を実践したりなど、何らかの形でのアウトプットを伴う学習のほうが、インプットのみで済ませる場合に比べ、はるかに内容の吸収率が高いという大枠の考え方は、多くの研究・実践でも支持されています。
友達や後輩に何かを教える立場になっただけでも、インプットする時の情報の入り方が変わるのがそれです。
よくセミナーで「学びになりました」「勉強になりました」という感想がありますが、実はその場で一番学んでいるのは、残念ながら受講者ではなくセミナーの講師です。
私は大量の本を読み漁るもまったくアウトプットをしないインプット中毒だった時に出会った言葉で、今でも憶えているものがあります。
ほとんどの人がアウトプットをせずインプットばかりする理由は、インプットは頭を使わずに学んだ感だけ味わえるから。
当時の私はハンマーで頭をぶん殴られるような衝撃を受けました。
自戒を込めて言いますが、インプットだけしてアウトプットしないということは、多くの時間を蒸発させる「学んだ感を味わうための行為」になってしまうかもしれません。

ひと手間でインプットの質を飛躍的に上げる方法
「でもアウトプットって面倒くさいんだよな」
はい。その気持ちめちゃくちゃわかります笑
とくに真面目な人ほど、量的にも質的にも「ちゃんとした」アウトプットをしなきゃと思ってしまう。
だからアウトプットをするのを躊躇う。だからインプットに偏る。
でもこれが大きな罠。
100点満点で減点方式の試験のためのインプットでもない限り、すべてを丸暗記する必要なんてありません。
ましてや生成AIが精度の高い要約をしてくれる今の社会では、丸暗記の価値って正直ゼロに近づいています。
無理に覚えようとするのではなく、生成AIを使ってほんのひと手間でアウトプットする機会を作り、「学び」の効率をグンと上げる方法があります。
手順はシンプル。
まず、インプットする前にインプットする目的に応じた質問をChatGPTなどの生成AIに作ってもらいます。
次にそれに対する自分の答えを、紙のノートでもデバイスでもいいので書き出します(言語化して外部化する)。
答えに自信がなくても、インプット前の状態で考えて出せる答えを書き出します。
めちゃくちゃ間違っててもいいので書き出します。(精神論ではなく、後述しますがインプット前の答えは間違ってたほうがいいです)
プロンプトの一例はこちら↓
アウトプットの質を高め、内容への理解を深めるために、インプット前後で同じ質問に答える形式の問いを3つ作ってください。
インプットが終わったら(できれば直後)、同じ質問に答えます。
これも必ず書き出します。
そしてインプット前の答えとインプット後の答えを見比べて、そのギャップを感じます。
ここでのミソは、プロンプトで目的をはっきり明示することです。
目的を明示することで、生成AIはよりあなた向けにカスタマイズした質問を作ってくれます。
※質問の数が3問程度に収まるようにインプットのボリュームを調整すると丁度いいメリハリになるので、私は3問にしています。例えば本であれば、1部ごと、1章ごとに区切るなど
でもなぜインプット前にも答える必要があるのか。
ふたつ理由があります。
ひとつ目の理由は
インプット前に質問に答えることによって、その質問に関する情報へのフォーカスが生まれるからです。
「今の質問自分なりに考えて答えたけど、このコンテンツでは何と言ってるんだろう。実際のところはどうなんだろう」
という心境でインプットを始めると、そこに対してのフォーカスができた状態でインプットする情報に触れられるので、何もしなかった場合に比べ、重要な要素を素通りしにくく吸収しやすくなります。
そしてインプット前に答えるふたつ目の理由は
人間の記憶と感情がコントラストで作られているからです。
コントラストとは、例えば
- 楽しい恋愛期間があるほど別れる瞬間はより辛く感じる
- 仕事においてプレッシャーが強いほど、解放された時のリラックスはひとしお
- サウナの後の水風呂は、超気持ちいい
といったことです。
これと同じで、インプット前後で自分の答えがどう変化したか、そのコントラストを感じることで感情が動き
「あ、ここが変わったんだ。これが学びだったんだ」
と明確に認識できます。
ですので必要に応じて、プロンプトにはこういった条件づけも有効かも知れません。
質問は以下の条件を満たしてください:
- 学習前後の差分から、自分の「死角」や新しい視点が見えること
- 抽象(構造・全体最適)と具体(小さな行動)を往復できること
YouTubeや本を読んでる時に「ちょっと質問です」と出てきた時も、すぐに動画を進めたりページをめくって答えを見るのではなく、一度立ち止まって答えてみる。
これだけでも、インプットする情報の入り方が全然変わってきます。
もしかすると、学校教育の影響で「答えを間違えるのが嫌」っていう無意識な抵抗を覚えることがあるかも知れません。
しかしもしインプット前の答えが間違っていないとしたら
言い換えると、インプット前後で答えにギャップがないのなら
何も学んでいないということになるので、それこそ時間の無駄になってしまう。
だからむしろインプット前の答えは、間違ってた方がいい。
インプット前後の答えのギャップが大きいほど、学びを得たという証になります。
ちょっと伝わりづらいかも知れませんが
ギャップが大きいほど、学びだけでなく強いアハ体験の快感も得られます。
アハ体験の快感を味わいながら、あなた向けにカスタマイズされた質問を生成AIに作ってもらい、学びの質をブーストさせる。
次のインプットで、ぜひやってみて下さい。
感想やご質問、掘り下げてほしいところ等あればお気軽にコメントやDMください。それでは!


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