長続きしないモチベーションと「自分でやってる感覚」

MIND・方法論

こんにちは、テツヤです。

やった方がいいとわかっていることがあるのに

「モチベーションが上がらない」

「モチベーションが続かない」

大人になってからだけではなく、子どもの頃からそう感じること多くありませんでしたか?

私は部屋を散らかしがちで、そろそろ片付けようかなと思っている時に

「綺麗にしときなさいよ」

と言われて、「ああもううるさいな、今やるよ」とぶつくさ言いながら動き始める子どもでした。

他にも、今まさに宿題をやろうと思っていた時に、お母さんから

「宿題やったの?」

と言われて

「今やろうと思ったのに」とゲンナリしたり。

多くの人が、一度はこの種の経験をしていると勝手に思っております。笑

大人になったらなったで、仕事中 上司に

「頼んでおいたメール取引先に送った?」と言われ

「(いやこの仕事終わったら送ろうと思ってたんだけど)はい、今送ります」

と気ノリしないままメッセージを入力し始めたり

忙しい仕事がやっと終わって、ジムに行く前のひと休みをしている時にフィットネスアプリから

「今日はまだ運動してません」と通知が来て

「いやわかっとんねん」とつぶやきながらジムに行く準備を始める。

これらすべての瞬間に、私たちの中で何かが失われています。

それが今回の記事でお送りするテーマの

「自分で決めてやってる感覚」

です。

これがないと、仕事でも恋愛でも何をやってても、頑張ってるはずなのに何故か心がついてこない。

いわゆる「モチベーションが上がらない」

「モチベーションが続かない」

そんな状態に陥ってしまいます。

先ほど子どもの頃の例を出しましたが、同じく子どもの頃に

「モチベーションが続かない」なんて言葉とは一生無縁と思えるほど没頭していたこともありませんでしたか?

それはゲームだったりスポーツだったり、絵を描くことだったり本を読むことだったり…

その時の大事な感覚を取り戻すためのアイデアについて、この記事では取り上げていきます。

主体的な行動って?

主体的な行動というと、どんなイメージを持ちますか?

一番わかりやすいたとえは

思春期の頃、胸がキュンとして気になる相手と親密になるためにしていた、涙ぐましくも微笑ましい努力。

あれが主体的な行動と考えると、わかりやすいです。

好きな女の子の髪の毛を引っ張って興味を引こうとする男の子や、好きな男の子が自分に興味を持つように友達と協力して動く女の子。

そんな少年少女のような気持ちで行動している時間が、生活の中でどれくらいありますか?

少年のような笑顔、少女のような笑顔をどれくらい見せて、どれくらい周りで見ていますか?

どうして私たちは大人になると、あの感覚を失ってしまいがちなのでしょう。

私たちから主体性を奪うものの正体

私たちからあの感覚・主体性を奪うものの正体。

それは、圧力です。

人は圧力をかけられると、その行動に対して受け身になったり当事者意識が薄くなったりするメカニズムがあります。

そしてこれは、人に圧力をかけられる場合に限らず、自分で自分にかける場合にも同じように起こってしまいます。

もちろん、圧力を人にかける場合も自分にかける場合も、メリットがあるからそのアプローチを取っている側面はあります。

圧力のメリット

圧力をかけると、短期的な爆発力が出る場合があります。

例えば、短期間で強い負荷をかけてクライアントのダイエットをマネジメントする有名なサービス。

高額なフィーを払ってそういった環境に身を置くと、短期的には結果が出やすくなります。

しかしあのプログラムが終わった後に、リバウンドする人とリバウンドせず体型を維持し続けられる人の両方がいます。

圧力をかけられてるからその期間だけイヤイヤやってるのか

それとも端から見てどういう風に見えようが、「自分で選んでやってる感覚」を持ってそのプログラムに取り組んでいるのか

その違いが、原因のひとつとして考えることが出来ます。

圧力のデメリット

圧力をかけるデメリットとしては、これはメリットの裏返しにはなるのですが、長期的な行動のモチベーションが下がってしまう。

このメカニズムは、自分で自分に圧力をかける時にも当てはまります。

例えば受験勉強で

「本番まであと○○日だから、あと2週間でA判定を取らないといけない」

と自分を追い込んで短期的には頑張れるかもしれないけれど、長期的にはモチベーションを下げてしまう。

仕事でいうと

「寝るまでにひと区切りつける!」と深夜まで踏ん張り、翌日以降エネルギー切れしてしまう。

「あれをやらなきゃ」「これをやらなきゃ」を連呼して、慢性的なストレスが蓄積する。

しんどいですよね、あの息苦しくなる感覚。

「真綿で首を絞められる」とはホントよく言ったものです。。

「自分で決めてやってる感覚」は主観的なもの

さてこの「自分で決めてやってる感覚」とはあくまで主観的なものなので、人からどう見えているかというのは関係がありません。

例えば私の知っているある男性に

「奥さんの嫉妬がカバーする範囲が広いからエッチなサイトは一切見ない」

という人がいるのですが

その人は独身の頃は、恋人が自分のことを縛ろうとしてきたと感じた時点で別れるということを繰り返していたそうです。

しかし、その「エッチなサイトを一切見ない」という規律は彼自身が自分で決めてやってるので、縛られているという感覚はないようです。

もし何か目的があって今の職場や住居を選んでいるのであれば

満員電車で通勤して長時間労働をしていようが、「自分で決めてやってる感覚」は持ちうるし

逆にはたから見るとやりたい放題やってるように見えても、その感覚がない場合もあることになります。

人間関係において知らず知らずのうちに発生する圧力

男女関係の例えが出ているのでついでに言いますと

例えばあなたのパートナーが、「こういうデートがしたいな」とか「こういう所に行きたいな」と言ったとします。

それに対して

「じゃあこのお店行こうよ。予約しとくね」

と毎回毎回すぐにそのリクエストに応え続けていると、いつの間にかそれ自体が「すぐに応えなきゃいけない」というイヤ〜な圧力として感じられるようになることがあります。

これに対してとれる1つのアプローチとしては

相手のリクエストに応える時、自分なりのタイミングを少し意識してみる。

毎回毎回相手のリクエストを聞いたその場ですぐに動くのではなくて、いつやるかを意識的に自分で決める。

「やらなきゃいけない義務」ではなく「相手を喜ばせたい」という愛情で相手のリクエストに応え続けるための、ちょっとした工夫です。

自分で決めてやってる感覚を取り戻す方法の一例

では、どうすれば「自分で決めてやってる感覚」を少しずつ取り戻していけるのでしょうか。

出来ることとしては例えば

  1. まず自分がよく口にする言葉、心によく思い浮かべる言葉をいくつかピックアップする
  2. その中で、人に言われた時に圧力を感じる言葉があったら、別のものに置き換える

人に言われた時に圧力を感じる言葉をよく使っているということは、知らず知らずのうちに自分にも圧力をかけているとも言えます。

その言葉を別のものに置き換えるとは

例えば「〇〇しなきゃいけない」という言葉をよく使うのであれば、「〇〇することも出来る」に置き換える。

この言葉には、「いくつもある選択肢の中から選んでいる」という前提が含まれるので、「自分で決めてやってる感覚」も戻って来やすいです。

「たかが言葉を変えただけでそんなに変わる?」

と思われたかも知れません。

しかし言葉が感覚におよぼす影響は、実は多くの人が思っている100倍は大きいです。

「100倍って大げさな」と思いましたかね?

ちょっとイメージしてみます。

例えばSNS上のビジネスアカウントで、クレームを扱ったふたつの投稿があったとします。

ひとつ目は

「お客様からこのようなご意見をいただきました」

ふたつ目は

「お客様からこのような文句を言われました」

読み比べた時に、それぞれの印象つまり得られる感覚はどれくらい違うでしょうか。

そしてこのふたつには、どんな前提(=世界観)の違いがあるでしょうか。

言葉遣いと世界観の関係についてはこちらの記事↓に譲るとして

▶︎やまと言葉から考える、「モテる世界観」と言葉遣い

同じ現象を扱った投稿にもかかわらず、使う言葉によって得られる感覚がだいぶ変わったかと思います。

そして(特殊な訓練を積んだ人を除いて)私たちのほとんどは、頭の中で考えることも含めると、ほぼ一日中言葉を使っています。

ひとつひとつの言葉がもたらす感覚の違いが積み重なった時、本人の人格や周りの印象にどれだけの影響を与えるか。

こうした言葉の大きな影響力を利用して、自分にかける圧力を消し「自分でやってる感覚」を増やすのがこのアプローチです。

人が感じる圧力も主観的なもの

この話を聞いてもし

「それでもやらなきゃ(やらせなきゃ)いけないことはあるんだよ」

と思ったのであれば、私があなたに圧力を与えてしまったということですし

思わなかったのであれば、あなたは圧力を感じなかったことになります。

このように、何に圧力を感じるかもかなり主観的なものなので、私たちは知らず知らずのうちに誰かに圧力をかけてしまっている場合があります。

とくに自分に圧力をかけることが癖になっている人は、人に圧力をかけていることに対して鈍感になる傾向にあります。

例えば、厳しく言っても優しく言っても「すみません…」とやたらと萎縮した反応をする後輩がいるとします。

それはその後輩自身が何かと圧力を感じる色眼鏡で世界を見ている可能性と同じく、もしかしたら、あなたを含めた誰かがその人に(結果的に)圧力をかけていることもあるかも知れません。もしくはその両方か。

今は指導する側が「パワハラ・モラハラにならないようにしなきゃ…」という静かな圧力を感じる時代でもあり、圧力の種類も時代の流れにのっとって多様化しています。

口にするかしないかにかかわらず、「パワハラ・モラハラにならないようにしなきゃ…」といったような心に思い浮かべる言葉の積み重ねが世界を見る色眼鏡を作ります。

その色眼鏡の構成要素のひとつが、「自分で決めてやってる感覚」です。

それを取り戻すアプローチの一例をもう一度言うと、自分がよく使う言葉や思い浮かべる言葉を観察し、圧力を感じるものを別のものに置き換えていく。

やればやるほど「自分で決めてやってる!感覚」が甦ってきますので、やってみてください。

感想やご質問、掘り下げてほしいところ等あればお気軽にコメントやDMをお送りくださいませ。それでは!

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