感性と知性で主観のアップデート

感性=縦軸(生物としての特性、歴史、遺伝、経験)×横軸(時代、文化、社会)。感性を大切にしつつそれだけに身をゆだねない。智仁勇(便宜上こう表現)そろえにいく

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旅日記:中華人民共和国 「内蒙」へ モンゴルが南北(「内外」)に分かれた理由と日本

投稿日:2019年9月6日 更新日:

この記事↓の続き。

 

参考記事:旅日記:中華人民共和国 天安門広場と現在の香港

 

紫禁城を後にし、少し歩いたところでローソンが目に入ったので、フライドチキンを食べてみる。

 

 

 

日本のやつより好きな味。

 

頤和園

 

地下鉄で頤和園前まで移動。

寝不足からうたた寝してしまって、駅をギリギリ寝過ごす。

 

反対方向に乗り直してもう1回寝過ごす。三度目の正直でやっと到着。

 

 

 

ヨーロッパ資本(シェル)のバックにそびえる頤和園。

 

頤和園(いわえん)とは、清朝時代の庭園。

もともとの名前は清漪園(せいいえん)といい、第6代皇帝乾隆帝の時代に完成している。

 

1860年のアロー戦争(第二次アヘン戦争)時、英仏連合軍に焼き払われるも西太后の隠居として用いるために再建され改称、頤和園と呼ばれる。

 

 

トイレ我慢しながらまわった記憶。

 

 

 

 

 

 

↑仏様がいっぱい。

 

 

↑「富強」以外1個も無いやんけ。

 

 

↑万里の長城級の勾配。

 

 

昨晩寝てなかったためか、景色以外(感じたこととか)はあまりよく覚えていない。

 

 

いざ「内モンゴル自治区」へ

 

 

ハニーミルク味のポテチ。気になって食べる。

まずくはないが二回目はいいかな。

 

地下鉄で北京中央の駅に戻り、内モンゴル自治区の都 呼和浩特(フフホト)行の切符を買う。

 

この「内モンゴル」という名前。「内」がここ(赤い部分)↓なら外モンゴルはどこか。

 

 

もちろん現在のモンゴル国です。

 

この「内」「外」なる表現は完全に中国目線の言い方なので、モンゴル人との会話で自分からこのエリアの話題を出す時は

 

South Mongolia Chinese saying Inner Mongolia』

 

と言うようにしていました。

 

「内モンゴル」という言い方を嫌がる人がいると聞いたので、念のため相手が使うまで『Inner Mongolia』と自分の口から発するのは控えた。

 

現在のモンゴル国は80%以上がハルハという部族で、いわゆるモンゴル語もハルハ・モンゴル語。

 

ハルハは中国人を嫌っているといい、ウランバートルのモンゴル人にも直接そう聞いた(彼はハルハではない)。

 

 

ハルハ(モンゴル)人の反中感情の源流

 

1900年 清国で排外主義運動が爆発→政府はこれを支持し欧米列国に宣戦布告。居留民保護のため介入した8ヵ国連合軍に清が大敗を喫した北清事変。

 

賠償金の支払いに追われた政府は、漢人農民の草原への入植を奨励し、モンゴル遊牧民の反清感情は高まっていく。

 

行政改革でモンゴル王公による間接支配も廃され、モンゴル駐留軍も増加。

 

とくにゴビ沙漠の北のハルハ部では、同族の南(「内」)モンゴルに漢人農民の入植が進み放牧地が減少したことを知り、反清・反漢感情が高まる。

 

モンゴル遊牧民は、もともと農民を下に見ているところはあったのですが、反漢感情までいくのはここが源流だと思われます。

 

 

モンゴルが南北(「内外」)に分かれた理由

 

なぜモンゴルが南北に分かれたのか。それには少なからず日本も関係しています。

 

「内蒙古」における日露の権益

19世紀末、ロシアは三国干渉などを経て、清国から遼東半島南端部の租借権や東清鉄道の敷設権を得た。

 

1905年  日露戦争に勝利した日本は、そのロシアから遼東半島南端部(関東州)の租借権と、東清鉄道南満洲支線(南満洲鉄道)の経営権を譲り受ける。

 

 

1907年に結ばれた第一次日露協約には、北満洲と南満洲の分界線を決め、北満洲はロシア、南満洲は日本の勢力範囲とする秘密約款が含まれており

 

またロシアは朝鮮における日本の行動を、日本は北モンゴル(のちの「外蒙古」)におけるロシアの行動を相互承認。

 

 

辛亥革命翌年の1912年7月の第三次日露協約では、南モンゴル(内蒙古)に関して、北京を南北に通る線の東側は日本、西側をロシアの特殊権益にすることを密約。

 

 

北モンゴルの要望

1911年10月 清国南部で辛亥革命がおこった直後の12月、ハルハの王公と仏教界は独立を宣言。

 

チベット仏教の高僧ボグド・ハーンを元首に推戴。中華民国はこれを「外蒙(外モンゴル)」と呼んだ。

 

↑ボグド・ハーン

 

ボグド政権は全モンゴルの独立の支援をロシアに要請。

 

しかしロシアは「外モンゴルに限り、しかも中華民国の宗主権下の高度自治しか支援出来ない。」という。

 

結果モンゴルは、1915年のキャフタ会議でロシアと中華民国から「外蒙自治」のみ認められ、「内蒙古」は中国領にとどめ置かれた。

 

 

ロシアの事情

なぜこうなったかというと、「内蒙古」の独立を認めた場合、第三次日露協約で取り決めた「内蒙古」東側の日本の権益とぶつかることになる。

 

ロシア帝国の西にあたるヨーロッパでは当時ドイツが台頭しており、帝国の東側で日本や中華民国と余計なトラブルを抱えるのは好ましくない。

 

そのあたりの見極めは、現在に至るまでロシアは非常に上手い。

 

 

フフホトに向かう列車の中

 

時間が来たので、夜行列車に乗る。

 

あと少しでこの国を抜けれると思うと気持ちが軽い。

 

周りを見てみると、北京までの乗客とは明らかに違う。モンゴル系と思われる顔や服装の人が一気に多くなった。

 

(とはいえ半分以上は漢人顔だが)

 

手荷物も皆多い。出稼ぎか観光で北京に来てたのだろうか。

 

実はモンゴル人の数自体は、モンゴル国より「内モンゴル」のほうが多い。

 

前者では総人口で300万人強なのに対し、後者はモンゴル族だけで500万人近くいるとされる。

 

ちなみに内モンゴル自治区の人口は2600万人強で、80%が漢族。やはり現代のマジョリティは漢人になっている。

 

『日本人』と自己紹介すると、向かいのモンゴル族らしきおばさんには肉まんをもらい

通路をはさんで隣に座っていた漢人っぽい女の子には『大学生ですか?』と日本語で訊かれる。

 

基本的にヨーロッパ抜けるまでstudentと間違えられ続けた。25歳前後に見られるのは良いが、20歳と言われるとさすがに喜べない。

 

夜が明けて車外の景色が見える。見渡すかぎりの牧草地。

 

 

↑かつて全域が遊牧地だっただけあって、今でも家畜の群れが走っている(わかりにくいですね)。

 

まだ出国していないがフライングで違う国に入った気分。それほど乗客も窓から見る景色もこれまでとは違った。

 

次回はフフホトでのお話。

 

つづく

 

今回の記事も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

ブログの趣旨がよくわからないという方はこちら↓をお読みください。 

 このブログで伝えたいこと

 

今まで知らなかったことに興味を持って頂けたなら嬉しいです。 

 

それでは! 

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平成元年生まれ男。

4tトラックに左足を潰されしばらく体を動かせなくなる。

時間が余りまくったため、心理学・脳科学・世界史・日本史・宗教・神話・哲学・国際政治・地政学等を学ぶ。

5月から8月にかけて中華人民共和国→モンゴル→ロシア→ポーランド→チェコ→スロバキア→ハンガリー→オーストリア→イタリア→ギリシャ→トルコをおもに陸づたいで放浪。

現在は名古屋にいます。

連絡先:tyamadasan410@gmail.com